命短し恋せよ乙女とは、古い歌の歌詞が、世間で一つの慣用句のように認知されたものですが、男女の垣根がないことを理想とする昨今では、恋をするのは、男女を問いません。
戦前の家長主義の強かった時代では、男女の自由な恋愛も難しかったかと思いますが、令和となった今の世では、恋愛を原則禁止するような時代錯誤の風潮はないのではないでしょうか。
ただ、芸能界のアイドルのような存在を除いては。
アイドルの語源が、「偶像」であるとか言われていますように、アイドルは、その芸事であるとか、容貌であるとか、カリスマ性であるとか、何か秀でているものがあり、これに対し、ファンは崇敬の念を抱く形を取るものだと思われます。
偶像であるということは、神聖にして侵すべからず、ということで、その崇高さは保たれるわけですから、その偶像が男女交際などして神聖さを失ってしまいますと、アイドルとしての価値は大きく下落し、場合によっては、崩壊するに等しいこととなります。
ファンの方の中では、恋愛の発覚があっても関係ない、そのアイドルを応援し続けるのだという方もいますが、ファン各自の主観的評価は別として、アイドルが恋愛をすることで、アイドルの商品価値が下がることは、客観的な事実であることは否定できないのではないでしょうか。
芸能事務所は、アイドルの恋愛を抑止したい
芸能事務所は、アイドルが無名の頃から、アイドルと専属マネジメント契約などを結び、多額の投資をし、ある意味、手塩にかけて、アイドルを育成します。
このため、ようやく売れるようになって投資の回収ができるようになったアイドルが、ある日、突然、恋愛関係をスクープされ、その商品価値が大きく下落するリスクを芸能事務所は負いたくありません。
そこで、このようなリスクを回避するために、芸能事務所は、アイドルとマネジメント契約を結ぶ際、契約書中に、恋愛禁止の条項を盛り込み、万一、違反を起こしたら、損害賠償義務を負う等として、芸能事務所とのマネジメント契約期間中、アイドルが男女交際をしないようにするのです。
これは、アイドルという商品価値の本質、投資の損失リスクの回避という企業経営の観点から言えば、至極、当然で、合理的な発想だと言えます。
人間の自然な恋愛行動を抑止するのが人道的なのか
しかし、一方で、男女の交際のような、本来、個人の自由な意思決定に委ねるのが相当である範疇の行為について、契約でもって拘束するのがよいのか、無制限にどのような恋愛でも禁止にしてよいのか、違反に対する損害賠償義務(罰則)の内容は、相当といえるのか、などという点で、多々問題の残る条項ではあります。
憲法第13条において、人には幸福を追求する権利があるとされており、特に男女の恋愛などの人類の根源的な行為において、アイドルが幸福を追求することを私人間の契約でもって制限できるのかどうかは、非常に悩ましい問題だと言えるのではないでしょうか。
平成28年1月18日東京地裁判決
この点、実際、恋愛禁止条項の有効性や、同条項該当時における損害賠償義務の相当性などが争われた裁判が出始めており、この中から、一つの代表的な裁判例を取り上げ、現在の恋愛禁止条項をめぐる法的状況を把握してみたいと思います。
上記裁判例は、次のような内容です。
芸能事務所側とアイドルにおいて、交際禁止と違反時の損害賠償義務負担のマネジメント契約を締結していたにも関わらず、アイドルがファンと交際し、芸能事務所を辞めた事例で、芸能事務所は、元アイドルに対し990万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴ました。
しかし、東京地裁は、アイドルの損害賠償義務を認めなかったというものです。
恋愛禁止の有行性には一定の理解を示している
まず、そもそも、人の恋愛を禁止するという契約が有効であるのかどうかという論点があります。
上述したとおり、どのような人と交際して、性的関係を持つかどうかといったことは、極めてプライベートな事項であり、憲法上の人権である幸福追求権に内在するものであるから、幾ら、私人間の契約と言っても、このような人権制限に匹敵するような条項を有効としてよいのかという視点です。
この点について、東京地裁は、アイドルの恋愛も一個人の幸福追求権と言う人権に相当するものであるという配慮を示しており、恋愛禁止により損害賠償の制裁を加える条項は「行き過ぎの感が否めない」としていますが、それだけをもって、恋愛禁止の条項そのものが無効になるとはしませんでした。
上記裁判例は限定的な解釈を採用
東京地裁は、恋愛禁止の条項そのものを直ちに無効とはしませんでしたが、同条項の適用される場面を限定的にすべきであるとしました。
すなわち、アイドルが恋愛について、「積極的に損害を生じさせようとの意図を持って殊更これを公にしたなど、害意が認められる場合等に限定して解釈すべき」としたのです。
これによると、同裁判例の事案では、アイドル側がそのような行動を取ったことはなく、害意がないから恋愛禁止条項の適用はありませんから、芸能事務所側の請求は退けられました。
通常の極秘恋愛は、積極的に損害を生じさせる意図の立証が困難
しかし、ここで、よく考えてみたいのは、裁判所が限定するために示している、「積極的に損害を生じさせようとの意図を持って殊更これを公に」するとはどういうものなのかということです。
本来の恋愛の経緯であれば、そもそも、アイドルが積極的に芸能事務所に損害を生じさせる意図など通常持ちようはずがありません。
アイドルが恋愛禁止条項に違反した交際を、わざわざマスコミやSNSなどによって、アイドル自ら拡散させているような事例であれば、上のような害意も推測されるでしょうが、アイドルそのものがそのような行為に走る事例は極めて稀なのではないでしょうか。
また、裁判においては、民事訴訟上の立証責任というものがあり、今回の例では、芸能事務所側がアイドルに害意があったことを立証する義務があるように見られますが、芸能事務所側がアイドルの内心の害意を立証するのは、上述したように、アイドル自らが交際を暴露し拡散させていった客観的事実がないと認められにくいのではないでしょうか。
このように、アイドルに対する恋愛禁止条項は、限定的に有効であるとしても、その限定された事案は、極めて稀であり、アイドルがこっそりと交際していたことが他者(マスコミ)から発覚したようなよくあるケースでは、適用外とされるのではないかと考えるところです。
こうなってくると、アイドルに対する恋愛禁止条項は、有名無実化したものと思われますが、あくまで、今回の裁判例は、東京地裁の判断であり、高等裁判所や最高裁で判断が示されたものではありません。
したがって、アイドルの側としては、この裁判例のみを当てにして、こっそり恋愛をするなら大丈夫じゃないかと高を括るのは早計です。
恋愛禁止条項についての私見
なお、恋愛禁止条項に関する私見は、次のとおりです。
あくまで私見なので、参考程度でご確認ください。
まず、投下資本の回収を芸能事務所側が求める理屈はよくわかります。
また、マネジメント契約時に、そのような条項が盛り込まれていることを理解し、アイドル側も契約に合意した以上、男女交際が極めてプライベートな事項であるとしても、私的契約で制限することを直ちに無効とまでする理屈はないと考えています。
しかし、一方で、恋愛禁止に違反した場合の制裁が過剰にすぎる場合、これを制限する必要があると考えます。
これについては、上記裁判例が採用した害意というアイドルの主観的認識の部分で制限するのかどうかもありますが、そうではなく、過剰な制裁を一定範囲に制限するという考えもあるのではないかと思っています。
いずれにせよ、今後の同種事例の裁判例を注視していく必要があるでしょう。
世論も変わる必要が
アイドルの恋愛禁止条項は、芸能事務所側が、世論のアイドルに対する理想像(アイドルに対する清純維持要求)に応じて、付加している条項であるとも言えます。
したがって、この条項を、アイドルに負わせている責任は、芸能事務所だけでなく、社会一般の物の見方にもあると感じています。
このような物の見方が転換すれば、恋愛禁止条項は、いつの世か、過去の遺物となるかもしれません。
※エンターテインメントをめぐる法律問題に関する別のブログは次のとおりとなります。
併せて、ご閲覧下さい。
「恋愛ゲームが歴史ゲームよりもストーリー展開を評価された事案」